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JA

日本のお笑いタレント、司会者 (1974-)

有吉弘行

有吉弘行

基本情報

生年月日1974年5月31日
全高172cm
出身校広島県立熊野高等学校
職業お笑いタレント, テレビ司会者
出生地熊野町
配偶者夏目三久
インフォボックスの全データ 18
生年月日
1974年5月31日(52歳)
出身地
広島県安芸郡熊野町
血液型
A型
身長
172 cm
言語
日本語
方言
共通語 広島弁
最終学歴
広島県立熊野高等学校
師匠
オール巨人(1993年3月弟子入り)
コンビ名
猿岩石(1994年 - 2004年)
相方
森脇和成(コンビ時代)
芸風
毒舌話芸むちゃぶりものまね
事務所
太田プロダクション
活動時期
1995年 -
同期
劇団ひとりビビる大木ふかわりょうなど
現在の代表番組
レギュラー番組有吉ゼミ櫻井・有吉 THE夜会有吉くんの正直さんぽマツコ&有吉 かりそめ天国有吉ぃぃeeeee!そうだ!今からお前んチでゲームしない?有吉のお金発見 突撃!カネオくん有吉クイズスペシャル番組オールスター後夜祭有吉の夏休み有吉の壁
過去の代表番組
有吉AKB共和国マツコ&有吉の怒り新党有吉ジャポン有吉反省会有吉弘行のダレトク!?
配偶者
夏目三久(2021年 - )
公式サイト
公式プロフィール

有吉 弘行(ありよし ひろいき、1974年〈昭和49年〉5月31日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者。広島県安芸郡熊野町出身。太田プロダクション所属。

コンビ・猿岩石の元ボケ、ネタ作りを担当。身長172 cm、体重62 kg、血液型A型。妻は夏目三久。2児の父。広島県観光大使、東京銀座の広島県アンテナショップの店名「TAU」名付け親。江戸川区インド人会名誉アンバサダー。

自称「太田プロの真珠、広島が生んだ快男児、軍人ロックスター」。

経歴

オール巨人に弟子入り

1993年3月、高校在学中『EXテレビ』(読売テレビ)の企画「公開弟子審査会」(審査員は上岡龍太郎、島田紳助、オール巨人、西川のりおら4名)に合格し、オール巨人(オール阪神・巨人)へ弟子入りした。また、同時期にNSCも受験していたが、合否が発表される前にオール巨人のテレビ企画に参加したため入学はしなかった。さらに、ウッチャンナンチャンなどの卒業生を輩出した日本映画学校の願書も取っていた。しかし弟子期間中に、兄弟弟子と喧嘩に発展して相手に怪我を負わせてしまい、8か月目にして巨人から謹慎を言い渡される。

「猿岩石」結成、ヒッチハイクでの大ブレイクと転落

1994年、そのまま無断で巨人の下を離れた有吉は、地元の同級生だった森脇和成を誘いコンビ『猿岩石』を結成し、2人で上京する。1995年、太田プロダクションの新人オーディションに合格しデビュー。後に巨人の楽屋に出向き、正式に破門となる。

1996年、『進め!電波少年』でのヒッチハイクの旅企画が話題を呼び、デビューシングル『白い雲のように』が、お笑い芸人としては異例のミリオンセラーを記録する等、大ブレイク。

当時の有吉の月収は最高で2000万円 に達していた。しかし有吉は「ブームはそう長くは続かない」と考えて、毎月の生活費を抑え貯蓄に励んだ。貯蓄は最高時で7000万円に達したが、税金の支払いなどで残ったのは約4000万円だった。

その後、有吉の予想通り、程なくして人気は低迷し仕事量は激減。毎月100万円だった給料も歩合制と化し、月収7万円から8万円もしくはゼロとなり、ブレイク時の貯蓄を切り崩す生活となった。有吉は当時を振り返り、「このような倹約があったからこそ、不遇の時代を借金することなしに過ごすことができた。そうでなければ、恐らくホームレスに転落していた」「この貯蓄があったから踏みとどまれた」などと述懐している。なお約4000万円あった貯蓄は、7~8年後には数百万円程度まで減少していた。

しかし、有吉は転落してしまったことで相当思い詰め、収入が少ないにも拘らず、人から蔑まれるのが苦痛でアルバイトなどもできなかったため当時は自殺もよぎったとのこと。芸事の方向性も迷走し、有吉は漫画用具一式を購入して漫画家を志しかけたり、一物を切り落としてオネエタレントとして再起を図ろうとしたり、AV男優へ転身しようかと考えたこともあった。

有吉曰くブレイク当時は「天狗」になっており、あまり人に好かれておらず、ブームが去った後の転落速度は相当なものだったという。

それから7~8年間、広島のローカル局への出演以外は仕事がなく、経済的に自活もできず食事などは上島竜兵(ダチョウ倶楽部)らの世話になっていた。仕事もなくほとんど家におり、ネタもないためブログには作り話を多く綴っていた。

ピン芸人へ転向

2004年 に猿岩石を解散し、ピン芸人として活動を始める。この頃から『内村プロデュース』(テレビ朝日)へ出演するようになり(猿岩石解散前にもコンビで出演)、これが復活への足掛かりとなった。有吉によれば自分の復活はまさしく「内Pのおかげ」であり、「内Pで再デビュー」といった気持ちでもあったとのこと。なお、内P出演時は基本的にリアクション芸で裸だった(そのために体力も錬成し、ダイエットも行った)。また女性ファン層は諦め、同世代の男性に的を絞っていった。そしてダチョウ倶楽部の協力などもあり、それらは一定の成果を収め、月収はいつしか30万円程度にまで回復していた。有吉自身、結果的には「裸」が功を奏したと語っている。同時期には「ものまねバトル」(日本テレビ)に出演し、哀川翔のモノマネがお茶の間に受けてこれも内Pと同様、復活するキッカケになる。哀川本人からも「面白いから宜しく頼む」と連絡が入り、以降も番組内では哀川のネタを定着させていたが、ネタが勝俣州和の罵倒や悪口だったので勝俣からの評判は良くない。同番組ではその他にも桃井かおりやさだまさしも披露していた。

あだ名芸で再ブレイク、そして司会業へシフト、定番人気タレントへ

2007年、『アメトーーク!』で発生したいわゆる「おしゃクソ事変」が話題を呼び(詳しくは後述)、以降有吉はあだ名および毒舌芸人として人気を得ることとなる。有吉も「久々に爆笑という感覚を味わった」と自賛している。

なお、有吉が2010年に述懐したところによれば、決して自分から「再ブレイク」などと言って反感を買うようなことはせず、「名誉より金」とのことである。R-1ぐらんぷりにも興味はなく、太田プロのライブにも出ていないとのこと。

その後順調に仕事は増え、2011年にはメディアの調査・分析を行うニホンモニターの調査による「2011年テレビ番組出演本数ランキング」において出演総本数499本を記録し、1位となった。2012年3月、広島県観光大使に就任。2013年11月23日、第10回『IPPONグランプリ』で初優勝、翌2014年11月8日には2度目の優勝を果たした。2013年には一気に5本のレギュラー番組が増え、そのうち4本が冠番組を占めるなどこの頃からテレビでの有吉のイメージは「あだ名・毒舌芸人」から「MC・司会者」とシフトし、仕事が大幅に広がった。2019年4月『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』がレギュラー放送となり、主要テレビ局(NHK、日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京)すべてにレギュラー冠番組を持つことになった。地上波の全局同時レギュラー出演は2008年に国分太一、2014年にさまぁ〜ずが達成しているが、冠番組のみで達成したのは有吉が初である。また2022年10月から「有吉クイズ」が火曜日のプライムタイムに昇格し、全曜日のプライム帯に冠番組を持つという史上初の偉業を達成した。

2021年4月2日、「マツコ&有吉の怒り新党」で共演していた夏目三久と前日の4月1日に結婚したことを所属事務所を通じて発表した。交際時期は不明(2016年8月頃に交際報道が出たことがあるが、この時は双方の所属事務所が否定した為、鎮静化していた)。有吉は太田プロの先輩・後輩芸人には結婚を発表するまで報告せず、2人の親族のみに伝えていた。2024年3月3日、『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』のオープニング内にて、第一子の誕生を発表した。2026年2月1日、同じく『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』で、第一子誕生時と同様に、第二子の誕生を報告した。なお、出生日と性別はいずれも公表していない。

2022年12月31日『第73回NHK紅白歌合戦』に純烈の応援ゲストとしてダチョウ倶楽部と初出演し、猿岩石の時代に果たせなかった「白い雲のように」を紅白歌合戦で歌唱した。2023年12月31日『第74回NHK紅白歌合戦』では司会を務めた。その後も24年、25年と3年連続で紅白の司会を務めた。25年に共に司会を務めた綾瀬はるかは同じ広島出身で、地方の同一都道府県出身者がコンビで紅白の司会を務めるのは珍しい。

芸風

コンビ時代は主にコントを演じ、ネタ作りも担当していたが、解散後はピン芸人としての舞台用のネタなどは一切持っておらず、バラエティ番組に特化した純粋なテレビタレントとなっている。後述の「あだ名の命名」に代表されるような、毒舌や辛口コメントを得意としている。毒舌に関しては、有吉自身が『嫌われない毒舌のすすめ』『毒舌訳 哲学者の言葉』 という著書を出版するほど。

あだ名の命名

発端と経過

発端は『アメトーーク!』2007年8月23日放送分。有吉が「一発屋芸人にならないための方法」を指南する役としてゲスト出演し、そこで「世間から『これ』という固定イメージを持たれないことが大事」と解説。その話の流れで有吉がひな壇に並ぶ他のゲストたちに、「世間が持ってるイメージ」をアドリブで直接伝えていくことになった。その際に品川祐に対して、品川の芸風を揶揄して「おしゃべりクソ野郎」というあだ名を命名した。この一連の流れがスタジオの大爆笑を誘い(MCだった宮迫博之曰く「客席が弾けた」)、その後他の番組でも「有吉が品川のことを『おしゃべりクソ野郎』と呼んだ」というエピソードが多く語られるなど次第に反響は大きくなり、ついには2008年3月13日放送分において「おしゃべりクソ野郎」が、「アメトーーク! 年間流行語大賞」に選ばれた。この一連の出来事を有吉自身は「おしゃクソ事変」と呼んでいる。

この出来事以降、有吉のこの『あだ名の命名』という特技が『アメトーーク!』を中心に多くの番組で取り上げられ、多数の共演者に対して毒を含んだあだ名を命名している。これをきっかけとして、有吉は「毒舌キャラ」「イジりキャラ」と認識され再びテレビの露出が多くなり、再ブレイクに至った。

あだ名に対する周囲の反応

有吉は、『アメトーーク!』の演出兼プロデューサー・加地倫三(あだ名は「オシャレ骸骨」)に対して「(テレビにたくさん出られるようにしてくれた)加地さんと雨さんと品川に感謝です」という感謝のメールを送っている。

有吉に「元気の押し売り」というあだ名をつけられたベッキーは、ブログで「それにしても有吉さんのネーミングも最強ですね!(中略) しつこいようですが、“おもしろければ何でもOK”な人間なので、私は大丈夫です! あー楽しかったー!!!」と有吉を大絶賛している。

その一方で、2009年10月29日付けのブログでは、差出人部分に「有吉を殺す会」と書かれたはがきが送られてきたことを明かしている。ただ、有吉本人と所属事務所は冗談と見做して刑事告発を見送った。

このほかにも相手の逆鱗に触れたり、相手自身は寛大な態度を示していても、所属事務所の重役あるいは幹部社員からの反感を買って共演不可を申し入れられた事例も少なくない。

また、長野県では県民性が起因して自身の芸風を受け入れてもらえず県域局のローカル番組をわずか2か月で降板させられたこともある。

命名に対する評価

有吉のあだ名命名については、「特に、タレントにあだ名をつけるのが天才的にうまい」「『クソ』『野郎』が多いのが目につきますが、毒の含み具合が絶妙」(芸能ライター)、「あだ名芸人として活躍の場を広げている」(『TV LIFE』編集部) と、内外から評価され、有吉の「瞬時に人物の特徴を捉える」あだ名の命名は「芸」であるとの評価がなされている。

人物

家族・親族

有吉の実家は広島県安芸郡熊野町内の、田んぼに囲まれた農家で、裕福ではなく、トイレはボットン便所だった。具体的な時期は不明だが2010年に死去した父親は無職で、母親は熊野筆の元職人 だった。有吉家について、2014年に「女性自身」が取材した近所の住人たちは「お父さんはあまり仕事が好きな人じゃなかった。麻雀ばかりやっていた。お母さんがよく働いていて、近所のスーパーで働いている姿を見かけた。畑で家庭菜園をしたりしていた」などと述べている。2026年5月3日の『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』で母親が83歳で死去したことを報告し、「急な話ではないんですけど、3カ月ぐらい前からちょっとお医者さんから言われてまして。覚悟もあった上でしたから」と説明した。最期は弟が看取った。

広島市で生花店を営む4歳年下の弟がおり、『有吉弘行の田舎発見バラエティ!「明日あいたい島村さん」』(フジテレビ 2017年1月7日放送)にて兄弟共演ロケを行っている。同番組では、有吉の親戚が暮らし、亡くなった父親が松茸を採っていた山もある思い出の地の東広島市豊栄町を20年ぶりに訪れ、父親の「山を守ってほしい」との遺言を果たすべく害獣駆除のロケに臨んでいる。有吉家所有の山は「天神嶽」と呼ばれ、東京ドーム約4個分の大きさである。

元日本テレビアナウンサーで、元フリーアナウンサーの妻・三久の父親は、ネット上の誹謗中傷や事実無根の書き込みなどを監視する企業イー・ガーディアン創業者の夏目三法。

2022年時点で有吉の元実家は空き家となっている。

子育てについて有吉は、2025年8月29日の「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」にゲスト出演した際、「子供の面倒ばっかりで。犬みたいです。家中を走り回ってます。“宅急便よ!”って言われて“はい!”って行くもんですから。それでソファに足を引っかけて、小指折っちゃって。座ってる時間はない。大変です、甘やかしてるんですけど、何が不満なのか、ガンガン泣きますね。困ってます」とその大変さについて吐露した。

2026年3月に「有吉の深掘り大調査」「有吉ジャポンll ジロジロ有吉」と2本のレギュラー番組が終了。有吉は「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」でこの事に言及し、「でもおかげさまで、タイミングも良くというか、番組もちょうど終わる番組とか、『ジロジロ有吉』とかあって。ポカンと空く日が出てきて」「今までなら、また新しい仕事見つけて入れてとか、事務所も動くと思うけど。俺も年齢も年齢だし、子供も小さいから、“そこは空けてくれ”と言って。育休じゃないけど、無理に仕事詰めていないので、ゆったり」と育児に関する時間を取りたいため、事務所との相談の上なるべくレギュラー番組以外のスケジュールを空けているといい、「ゆったりといっても生活はめっちゃ大変なんだけど、今どきでよかったなと。“そうしようか”って、事務所も言ってくれるから」 と話した。

趣味・嗜好

広島出身ということもあってプロ野球は広島東洋カープのファン。高校時代は勉強そっちのけでアルバイトして金を稼ぎ、原付を使って広島市民球場に年間30回程行っていた。またTwitterにおいて、同姓で千葉ロッテマリーンズ・横浜DeNAベイスターズに所属していた有吉優樹を応援していると明かし、有吉優樹がプロ初勝利を飾った際は祝福のコメントを投稿していた。また生粋のアンチ巨人でもあり、2018年のオフに丸佳浩がFA権を行使して巨人へ移籍した時は「いい加減にしてくれ」と巨人に対する不満を露わにしている。2019年・20年には「有吉さんに巨人を好きになってほしい」というコンセプトの番組『有吉×巨人』が放送された。

格闘技・プロレスに造詣が深く、大仁田厚の追っかけをしており、FMWのファンでもあった。『有吉ぃぃeeeee!そうだ!今からお前んチでゲームしない?』(テレビ東京)では、同じくプロレスに詳しいタカアンドトシ(特にトシ)と唐突かつマニアックなプロレストークを展開し、周囲からツッコまれるのが定番の流れとなっている。

高校時代は柔道部に所属していた。黒帯(初段)を有しているが、これは柔道部時代に取得したものではなく『リングの魂』の柔道企画で取らされたものである。

上京当初は下北沢に住んでおり、飲食店でアルバイトをしていた。『猿岩石』ブームが去った後の低迷期は笹塚に住んだ。『マツコ&有吉 かりそめ天国』で同じくMCを務めるマツコ・デラックスも、かつて笹塚駅周辺に住んでいたことがあり、同番組ではたびたび笹塚が話題にあがる。同時期には豪徳寺に住んでいた時期もあったが、『かりそめ天国』で「豪徳寺の記憶がすっぽり無い」と発言した他、エッセイ「有吉メモ」でも「生活が最も苦しかった時期に住んでいた豪徳寺周辺の記録がなく住んでいた家さえ探せなかった、記録喪失の一種か。」と綴っている。

風俗店を好み、『お前なんかもう死んでいる プロ一発屋に学ぶ50の法則』(2012版)でもp.93-、p. 201などで言及している。

自他共に認める方向音痴で地図が読めない。普段から利用している都内の道路の名称を把握できていなかったり、テレビ局内でトイレから楽屋に戻れないこともある。その一方で散歩を趣味としており、1日10キロ以上、多い日は24キロ・30キロにも渡る長距離の散歩を日頃から行っている旨を度々発言している。「有吉メモ」では「3.11の時が散歩のターニングポイント。」と記されている。その一方で、2025年5月29日放送の『ダウンタウンDX』で山之内すずが3日掛けて下北沢から箱根まで90km散歩した際、『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』でこのニュースで触れた際、有吉は「こんなもん散歩って言わないんだよ。これ、トレーニングだよ、もう」「よくあるじゃん、24時間かけて100キロやりますっていう学校。あと、自衛隊とか。そういう類だから。散歩なんて気軽に言わないでよ。ナメんなよ、散歩」「散歩って楽しいものだし。キロ数言い出したら終わりだよ。『10キロ散歩してます』なんてダメだよ。『景色が良かったんで、思わず京都まで歩いちゃいました』これが散歩だよ。『3日かけて箱根を目指します』、これはもう散歩じゃない」「こんな計画性持って、3日で90キロなんてダサいよ。『すごい健脚ですね』『脚が丈夫ですね』って声をかけときましょう。二度と散歩とは言わないでください」と否定的な意見を出し、切り捨てていた。有吉は「ドラクエウォーク」を始めた影響もあって月に300キロ歩いた事もあった。

好みの女性タイプは「パンクロッカー」。理由は「周りに流されずに自分を貫いているから」。嫌いなタイプの女性は「グラビアアイドルなどの清純派」「自称・業界人と知り合い」。

初めて買ったCDはTM NETWORK『Self Control』。中学校の同級生は「有吉は人が嫌がるものまねをよくしていた」と述べている。「理想は1億円残したまま、自宅でひっそりと死んでいる」と著書で語っている。

2013年まではヘビースモーカーだったが、健康上の理由で卒煙を決意、2014年以降は非喫煙者である。

親交関係

竜兵会

上島竜兵(ダチョウ倶楽部) を中心とする飲み仲間『竜兵会』の一員。竜兵会に高田文夫が顔を見せた際、酔っ払った上島に対する有吉のツッコミの面白さを見た高田は自身のラジオ番組『ラジオビバリー昼ズ』に有吉を起用(2006年に高田が休養した際、中継レポーターの春風亭昇太がMC代行となったため、スライドで中継担当になった)することを決めた。

また、竜兵会の中でも特に上島に関しては「涙をこぼすのは上島さんの葬式だけと決めている。」と真面目に溢しており、関係性が深い。

2020年12月、「かりそめ天国」において「自分の怒りのスイッチって自覚していますか?」という話題の中で有吉は「僕の場合は上島さんね。上島さんのことをバカにされると(怒りのスイッチが)入っちゃう」と過去の経験を思い返した。

2022年5月11日に上島が死去。4日後の15日に「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」で有吉は上島の密葬に参加した様子を話し、有吉は「元気が出たつもりだったけど、落ち込んだりを繰り返すね」「亡くなった日の夕方に顔を見せてもらい、2人で…」「特別に2人きりにしてもらったとき、『バカだな』とか突っ込んでやろうと思ったけど、お礼の言葉しか出なかった」 と涙ながらに言葉を詰まらせた部分もあった。会場には有吉が上島に贈った腕時計が飾ってあり、上島の妻であった・広川ひかるから「上島さんが毎日この時計をつけて枕元に置いていた」「お返しに(有吉の)誕生日(今月31日)にグラスをプレゼントしようとしていたみたい」と報告し、「せめてプレゼントを渡してから死んでほしかった」と発言。最後に有吉は「まだまだ感謝を伝えきれない。古典落語ぐらいネタがあるから、上島さんのことを忘れずに話していきたい」と語った。

ウッチャンナンチャン・さまぁ〜ず

第2日本テレビのネット配信番組『電波少年的懸賞生活2009』に出演し、同番組のプロデューサーより再ブレイクのきっかけを訊かれた際、「世間的には『内村プロデュース』の印象が強いと思うが、実は『リングの魂』の柔道企画等、(内村光良のみならず)南原清隆にも大変お世話になっていて、ウッチャンナンチャンの両氏にずっと使ってもらったおかげ」と答えている。その際、『内村プロデュース』に関して「売れてない時期があったからこそ当時のレギュラーメンバーの凄さに気づくことができた」と答え、ネット配信番組『内村さまぁ〜ず』に出演した際にはTwitterにて内村、さまぁ〜ずの3人について「3人は命の恩人ですので細心の注意を払うべきですが、それをさせない緩さがある」と評している。

なお、有吉は2008年の『内村さまぁ〜ず』放送回で内村にもらった「1個1個の仕事を大事にして、確実に仕留めていく」という旨のアドバイスを心に刻み、後輩にも同様のアドバイスを送っている。

元師匠・オール巨人

1993年3月2日放送分『EXテレビ』で行われた企画「公開弟子審査会」に有吉が参加し、合格。オール巨人(オール阪神・巨人)に弟子入りする。しかし弟子入りして8か月後、元々相性が悪かった兄弟子の堀之内裕史を歯が折れるほど殴ってしまい、有吉は巨人から「暴力を振るうような人間にするために弟子を取ったのではない」「乱暴者はいらん」と謹慎を命じられる。

謹慎中だった有吉は巨人には無断で巨人の下を離れ、1994年に森脇和成とコンビ『猿岩石』を結成し上京。1995年、太田プロダクション所属となる。そして、1996年に『進め!電波少年』でのヒッチハイクの旅企画で話題となる。何も聞いていなかった巨人は、テレビで見て初めて有吉が東京で芸能活動を継続していることを知って驚いたという。

女性セブンのインタビューによれば猿岩石の旅企画の終了後、オール巨人の著書によればTBSの『オールスター感謝祭』で一緒になった時(女性セブンによれば有吉はすぐに巨人の楽屋を訪れたことになっている)、スタジオで巨人を見かけるなり、土下座して「すみませんでした!」と謝罪した。巨人は「これで正式に破門や。お前も辛かったんやろ」と声をかけた。有吉はいつか巨人に再会した時のことを考えてずっと「びびっていた」らしく、挨拶に来るか電話の一本も入れればいいのにと巨人が言ったところ、それを行う勇気すら出なかったと答えた。

一方で弟子時代の有吉の印象について巨人は、「実は謹慎を命じた印象が強すぎて、他のことはあまり覚えていないんです」と語っているが、有吉が弟子入りしたときの履歴書を大切に保管しており、2013年11月19日放送の関西テレビ・フジテレビ系バラエティー番組『有吉弘行のダレトク!?』のゲスト出演時に、当時の履歴書を公開した。その際、短い期間で不義理もしているが巨人の弟子につけて良かったと語った有吉だが、猿岩石がブレイクするきっかけとなった6か月のヒッチハイクと巨人のもとでの8か月の弟子生活を比較し、再びどちらかもう一回やるとしたらヒッチハイクを選ぶほど、当時の自分には厳しかったと語っている。

また、『ダウンタウンDX』でも巨人と有吉は共演しており、2009年7月16日の放送の同番組では、有吉は巨人に「楽屋の厄介者」というあだ名を命名している。

その他

同期には劇団ひとり、ふかわりょう、ビビる大木 がいる。有吉は彼らをそれぞれ「川島(劇団ひとりの本名)」「ふかわ」「じゅん」と呼び、ひとりとふかわからは「有吉くん」、大木からは「アリ」と呼ばれている。ひとりとは太田プロダクションへの所属日まで同じであり、「全くの同期」と語っている。

前述の通り、オール巨人の弟子を経た後にコンビ結成という特殊な経歴であり、養成所には通わずコンビの活動を開始したために芸歴が非常に曖昧。有吉本人はオール巨人の弟子となった1993年から芸歴としてカウントしているが、プロの芸人として活動を開始したのは1995年になる。そのため実際に同期として接しているのは同時期にデビューした同い年や歳下の芸人に対してである。吉本興業所属の芸人に対してはロンドンブーツ1号2号やペナルティ、その同期にあたるNSC大阪校12期出身の芸人までを先輩とし、タカアンドトシやその同期のNSC大阪校13期以降の芸人を後輩としている。

芸能人特有の「軍団」や直系の「弟子」を持たないが、吉村崇は有吉を「お師匠さん」と呼んでいる。藤田ニコル・池田美優は2017年頃から有吉の番組でのゲスト共演も多く、「師匠みたいな存在」と語り、有吉自身も弟子扱いすることが多い。

タモリ・ビートたけし・明石家さんまのビッグ3について有吉は『有吉クイズ』の企画内で、「自慢じゃないけど、ビッグ3なんて、会話一回もハマったことないわ」「30年間1回も笑ってもらったこと、ないんじゃないかな?」と発言。ゲストの小杉竜一から 「最近でもですか?」と聞かれると「最近は会わないじゃん。自分の自覚として、1回も会話成立したことがない。『そうだよな?』『はい』ぐらいしか…」と、ビッグ3との思い出は全く無いとした。実際、有吉とビッグ3とは猿岩石や毒舌を売りにしていた時には複数回共演しており、中でもタモリとは猿岩石時代に「森田一義アワー 笑っていいとも!」で1年間レギュラー出演していたが、有吉がMCとしての仕事が定着して以降はウンナンやさまぁ〜ずと違い有吉の発言通り全く共演しておらず、有吉がMCを務める番組のゲストしても出演していない。

芸人以外では、俳優の大下源一郎と親交がある。大下とは、有吉が主演したミュージカル「シンドバッドの冒険」(2000年)で共演してからの付き合いで、有吉のことは「何でも知ってる」代わりに口が非常に堅いため、他人には言えない話を相談する仲だという。夏目との交際についても、大下は芸能界で唯一その事実を結婚前に知っていた。

Twitter関係

有吉は2012年11月から2020年4月まで、Twitterのフォロワー数が最も多かった日本人である。2012年11月末に、フォロワー数が、当時首位だったソフトバンクの社長・孫正義を抜いて日本人としては1位(当時)となり、2013年2月6日には、国内初の200万フォロワーを達成した。さらに2014年3月1日、国内初フォロワー300万人を突破。その後もフォロワーは増加を続け、2015年1月31日に400万人、同年11月20日に500万人、2016年9月4日に600万人、2018年1月3日に700万人に国内で初めて到達した。

名前について

実は弘行は元から"ひろいき"ではなかった。有吉の父は"ひろゆき"で出生届けを出したが、何故か"ひろいき"と誤認された為、仕方なく読みを"ひろいき"としたと言う。

評価

お笑い評論家のラリー遠田は、芸能界における毒舌キャラに必要な条件として「的外れではない鋭い批評精神があること」「悪口を言っても許される人間であること」の2つを提示し、有吉はその2つを兼ね備えていると評している。特に2つ目の『悪口を言っても許される人間であること』という点について、遠田は雑誌『m9』(晋遊舎)での有吉のインタビュー記事の「売れない時期が続いてやさぐれたっていうことで、『やさぐれて当然だ』っていうバックボーンは作れたんじゃないですかね」という発言を引用し、「一時は頂点を極めながら最底辺まで落ちぶれたという点で、有吉ほど強力な『毒舌の免罪符』を持っている芸人もなかなかいない」と表現している。

千原ジュニアは有吉の毒舌テクニックについて、「有吉は毒舌を言った後に絶対に笑う」というポイントを語り、アメ(笑顔)とムチ(毒舌)を使い分け、毒舌を吐いた相手を本気で怒らせない有吉のしたたかな芸風を指摘した。またジュニアは有吉を「カウンター芸の極み」だと評し、求められるままに手持ちのネタを出してばかりである芸風の自分を「残高が減る一方」と表現し、逆に相手から投げられたボールを返すことを主とする有吉のトークテクニックを挙げ、「有吉の残高はまだまだある」と表現した。

『虎の門』(テレビ朝日)のコーナーで泡盛を飲もうとした際に、体調の悪かった有吉は生放送中にカメラの前で嘔吐してしまった。だが有吉は咄嗟に吐瀉物を左手でキャッチしてポケットにしまい、一連の行動で笑いを取りながらも何事もなかったように振る舞い、放送事故にはならずに済んだ。この有吉のプロ根性を同番組で共演した土田晃之は賞賛している。

放送作家の鈴木おさむは、ほとんど構成を立てず有吉の自由な休日をVTRにまとめただけの『有吉の夏休み密着100時間』(フジテレビ系列、2013年9月7日放送)が、14.2%という高視聴率を獲得したことについて、「『○○の休日』などという内容で視聴率が取れたのは一昔前の大スターが出演する番組のみであり、最近では成立するのが難しいと言われていた。しかし、その殻を久々に破ったのが有吉だった」と解説した。その話を受けて関根勤は、「このまま(有吉の活躍が)2年3年と続くと、さんまさんやたけしさんらに次ぐ、芸能界の『新しい柱』になり得る」と評価した。

小籔千豊は、有吉を「同年代の中の、超ウルトラハイパー覇者」と評している。

2018年頃から、2桁に達する冠番組の多さに「バラエティ番組の帝王」とマスコミに表現されることが多くなっている。

出演

テレビ

現在の出演番組

レギュラー番組

準レギュラー番組 (または不定期出演)

過去の出演番組

レギュラー番組

準レギュラー番組

特番

現在

過去

ラジオ

現在の出演番組

過去の出演番組

ゲスト出演

インターネット配信

ドラマ

映画

舞台

CM

PV

  • 「リフレイン〜青春馬鹿野郎〜」「東京」/175R(2009年)

CD

猿岩石
『猿岩石#猿岩石名義』(1996年-1999年)を参照。
KEN-JIN BAND
『KEN-JIN#ディスコグラフィ』(2001年-2004年)を参照。
マンクマン

劇団ひとりとのユニット

  • 最新J-POP MEGA HITS! BEST40 (2003年2月21日、Mankman Records)
有吉弘行
『青空』(2023年1月1日)- THE BLUE HEARTSのカバー。TBSテレビの番組『クイズ☆正解は一年後』にて、首都圏のパーキングエリア内等でTHE BLUE HEARTSのトリビュート・アルバムを番組内で発表するまで内緒で発売する企画の一環として歌唱に参加。2023年にApple Musicなどの音楽配信サービスで試聴可能。

DVD

  • 『死球 〜dead ball〜 vol.2』(2005年)
  • 『オレがやるよ!それだったらオレがやるよ!じゃあオレがやるよ!どうぞ!どうぞ!どうぞ! 〜ダチョウ倶楽部のリアクション祭り〜』(2005年)
  • 『実録!?ドキュメントその時…上島が動いた』(2007年)
  • 『我々は有吉を訴える 〜謎のヒッチハイク全記録〜』(2008年)
  • 『ノーマニフェスト for UESHIMA』(2008年)
  • 『ものまねプロレス祭2008 まねんのか!』(2009年)
  • 『イツザイ 「インディーズ芸人スペシャル」』(2009年)
  • 『大輔宮川のすべらない話2』(2009年)
  • 『ギョーカイ騒然! 〜ココロにのこらない話〜』(2009年)
  • 『リアクションの殿堂』(2009年)
  • 『我々は有吉を再び訴える 〜沖縄ヒッチハイク殺人未遂事件の全真相〜』(2009年)
  • 『リアクションの殿堂 〜遺作〜』(2010年)
  • 『竜兵会の約束』(2010年)
  • 『我々は有吉を訴えるべきかどうか迷っている』(2011年)
  • 『ふわふわトーク こんな感じでどうですか?』(2013年)
  • 『有吉の夏休み 密着100時間inハワイ もっと見たかった人のために放送できなかったやつも入れましたDVD』(2014年)
ほか

書籍

  • 『オレは絶対性格悪くない!』(2008年9月、太田出版)
  • 『怒りオヤジ 愛の説教BOOK』(2009年3月、太田出版)
  • 『竜兵会 僕たちいわばサラリーマンです。〜出世術のすべてがここに〜』(2009年4月、双葉社)
  • 『嫌われない毒舌のすすめ』(2009年7月、KKベストセラーズ)
  • 『お前なんかもう死んでいる プロ一発屋に学ぶ50の法則』(2010年6月、双葉社) 2012年4月、文庫化(双葉文庫)
  • 『毒舌訳 哲学者の言葉』(2012年4月、双葉社) 2013年5月、文庫化(双葉文庫)
  • 『現代用語のクソ知識』(2013年10月、双葉社)文庫、2015年

NHK紅白歌合戦出演歴

年度 放送回 回 曲目 出演順 対戦相手 備考
2022年 第73回 白い雲のように 30/51 - 純烈のサポートでダチョウ倶楽部と合同で参加。
2023年 第74回 白い雲のように(2回目) 41/44 - 藤井フミヤとのデュエット。
第74回の司会として出演。
注意点
  • 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
  • いずれも正規の出場歌手のサポートであり出場歌手には含まれない。

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