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フランスのシャンソン歌手、作詞家、作曲家 (1930–1997)

バルバラ (歌手)

バルバラ (歌手)

基本情報

生年月日1930年6月9日
死亡年月日1997年11月24日
職業映画俳優, シンガーソングライター, 歌手
出生地17区
死没地ヌイイ=シュル=セーヌ
受賞・受章レジオンドヌール勲章シュヴァリエ
インフォボックスの全データ 8
出生名
モニック・アンドレ・セール
生誕
1930年6月9日 フランス・パリ
出身地
フランス
死没
1997年11月24日(67歳没) フランス・イル・ド・フランス地域圏・オー=ド=セーヌ県・ヌイイ=シュル=セーヌ
ジャンル
シャンソン・ピアノ弾き語り
職業
歌手・作詞家・作曲家
担当楽器
歌・ピアノ
活動期間
1958年 - 1996年

バルバラ(フランス語: Barbara、1930年6月9日 - 1997年11月24日)は、フランスのシャンソン歌手、作詞家、作曲家。本名、モニック・アンドレ・セール(Monique Andrée Serf)。

人物

ナントにあるバルバラ通り(Allée Barbara)の看板
ナントにあるバルバラ通り(Allée Barbara)の看板

パリ17区で生まれる。第二次世界大戦勃発前は、パリ17区内やマルセイユ、ロアンヌなどに居住した。

父はユダヤ系アルザス人、母方の祖母はウクライナ人。ユダヤ系であるため、ナチス・ドイツによるフランス占領時代には、アンドル県やオート=ピレネー県タルブ、イゼール県などを転々とした。戦後はパリ20区、パリ16区などに居住。同居していた母が亡くなったパリ16区の通り名が付いた曲のほか、現在、道路名にバルバラの名前が付けられているナントを歌った曲(「ナントに雨が降る」)などがある。

1964年、ドイツのゲッティンゲン大学側の招待を受けて訪独した。第二次世界大戦が原因でドイツに良い印象を持たなかった彼女はゲッティンゲンで暖かい招待を受け感動し、『ゲッティンゲン』という曲を作った。この曲は、仏独両国の和解に大きく寄与したといわれている。

コンサートやステージの開催時、それら公演の宣伝を一切行わないにもかかわらず発売直後にチケットが完売する現象は「神話」と呼ばれた。制作・発表した作品群はフランス国民のみならず様々な国の聴き手に感銘を与え、現在も圧倒的な支持と評価を受け続けている。

1997年11月24日、パリ西部近郊のヌイイ=シュル=セーヌの病院にて呼吸器疾患で死去。67歳。

絶筆となった自伝 “ Il était un piano noir... mémoires interrompus” (対訳:『一台の黒いピアノがあった…未完の記録』 日本語訳『一台の黒いピアノ…』)が死の翌年、1998年10月にフランスで刊行。遺作として発表された。

代表曲(日本語題)

  • Ma plus belle histoire d'amour (我が麗しき恋物語)
  • Göttingen (パリとゲッティンゲン)
  • Toi (貴方)
  • Nantes (ナントに雨が降る)
  • L'Aigle noir (黒いワシ)
  • Une petite cantate (小さなカンタータ)
  • Marienbad (マリエンバード)
  • Le mal de vivre (孤独のスケッチ)
  • Madame (貴婦人)
  • Tire-pas (撃たないで)
  • Mes hommes (私の恋人たち)
  • Mon enfance (私の幼いころ)
  • Pierre (ピエール)
  • Dis Quand Reviendras-Tu ? (いつ帰ってくるの)

主なアルバム

DVD

著作

  • Il était un piano noir... (Fayard、1998年)ISBN 2-213-60015-5 日本語訳『一台の黒いピアノ… 』(小沢君江訳,緑風出版, 2013)ISBN 978-4846113124

映画出演

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