概要
この作品は映画監督リチャード・ドナーにとって初めての大ヒット作となり、当時低迷していた20世紀フォックスを立て直すほどの大きな興行成績を記録した。フォックスで自分の新作映画を準備していたジョージ・ルーカスは参考のため、ドナーに頼んで『オーメン』を見せてもらった。ドナーはルーカスに、『オーメン』でカメラマンを務めた撮影監督ギルバート・テイラーを紹介し、実際にテイラーは『スター・ウォーズ』(1977年)に参加した。本作で編集を担当したスチュアート・ベアードは、ダミアンが三輪車で走るシーンをキューブリックが『シャイニング』(1980年)で真似をしたと証言している。
多くの映画作品とホラー映画史に影響を与えた『オーメン』は数々の映画賞でノミネート、または受賞を果たし、音楽を担当したジェリー・ゴールドスミスが第49回アカデミー作曲賞を受賞した。
あらすじ
6月6日午前6時、アメリカ人外交官であるロバート・ソーンはローマの産院にて、死産した我が子の代わりに、同時刻に誕生した孤児の男子を妻キャサリンに秘密で養子として引き取り、ダミアンと名付ける。ほどなくして駐英大使に任命され、その後も公私共に順風満帆な生活を送るロバート。
しかし、ダミアンの5歳の誕生日に、乳母が「あなたのためよ」と叫んで首つり自殺をする。ロバートは記者が群がる大使館前で写真家のジェニングスとぶつかり、彼のカメラを壊してしまう。弁償を申し出るロバートに、ジェニングスは「いいえ、貸しにしておきます」と断る。ローマからやって来たブレナン神父はロバートに面会するなり「奴はあなたの全てを奪う。キリストを頼りなさい」と意味ありげな言葉を放ち、「ご子息の出産に立ち会った。あれの母親は山犬です」と告げる。息子を入れ替えたことに対する脅迫だと感じたロバートは神父を追い返す。その後、死んだ乳母の代わりに斡旋所から派遣されたと称する新しい乳母ベイロックがやって来る。彼女はダミアンに「そなたを守りに来た」と微笑む。
ブレナン神父に呼び出されたロバートは、キャサリンが妊娠していると教えられ「奴は母親も、お腹の子も殺す。奴は悪魔の子だ。イスラエルの古都メギドに行き、子どもの殺し方を知っているブーゲンハーゲンに会ってください」と忠告される。しかしロバートは全く聞く耳を持たずに去って行く。強風と嵐の中を教会まで戻ってきたブレナンは、雷に打たれて落下してきた避雷針で串刺しになった。さらに2階の廊下でプランターの手入れをしているキャサリンが、ダミアンの三輪車と衝突し、階下に転落し流産してしまう。
悲しみに暮れるロバートを呼び出したジェニングスは、自殺した乳母とブレナンの生前の写真を見せ、首や身体に死の予兆が写っていたと説明する。ブレナンのアパートに向かうと、身を護るように部屋の壁全体に聖書のページと十字架が貼られていた。異常現象を伝える切り抜き記事には「6月6日に彗星が輝き2000年前のベツレヘムと同じ形になる」とあり、やはり5年前の6月6日のローマでの誕生記事が遺されていた。ロバートは6月6日6時生まれのダミアンは実子ではなく、誰の子かも分からないと告白する。ロバートはジェニングスの調査協力の申し出を断ったが、ジェニングスは「私の問題でもある」と言い、首許に影のようなものが写り込んだ自身の写真を見せた。
2人はダミアンの出生を突き止めるべく産院があったローマに向かい、ダミアンを世話したスピレット神父を探し出すが、彼は火傷のケロイドと半身不随で言葉を話せなかった。あの子の母親を教えて欲しいというロバートの叫びに反応したスピレットは、わずかに動く左手で古い墓地の名称“チェルベット”と書いた。2人は廃墟の墓地へ向かい、5年前の6月6日に亡くなった2つの墓を見つけた。“マリア・スキアーナ”と書かれた墓を開けるとジャッカルの白骨が横たわっていた。傍らにあった子どもの墓も開けると、頭部に穴の開いた新生児の骨が埋葬されていた。自分の息子が殺されたと知ったロバートは、入院中のキャサリンにロンドンを離れるよう伝えるが、彼女はベイロックに突き落とされて転落死した。
イスラエルでロバートの到着を待っていたブーゲンハーゲンは、悪魔の子を殺す“メギドの短剣”を授け、教会の祭壇前で子どもの胸に7本の剣を刺せという。悪魔の確認方法は身体のどこかにある666のあざで、見当たらなければ頭皮を調べるよう教える。しかし子殺しに迷うロバートは帰り道に短剣を投げ捨て、それを拾おうとしたジェニングスが無人のトラック荷台から滑ってきたガラス板で首を切断される。迷いを断ち切ったロバートは短剣を手に自宅に帰り、眠るダミアンの髪の下に666のあざを発見する。突如ベイロックがロバートに襲いかかるが、彼はアイスピックで返り討ちにする。ロバートは嫌がるダミアンを車に乗せて教会へ向かい、祭壇でダミアンを刺し殺そうとするが、追跡してきた警官に射殺された。ソーン夫妻の葬儀で、大統領に引き取られたダミアンが墓前で微笑む。
キャスト
| 役名 | 俳優 | 日本語吹替 | |
|---|---|---|---|
| TBS版 | LD版 | ||
| ロバート・ソーン | グレゴリー・ペック | 城達也 | |
| キャサリン・ソーン | リー・レミック | 武藤礼子 | |
| キース・ジェニングス | デビッド・ワーナー | 仁内達之 | 坂口芳貞 |
| ベイロック夫人 | ビリー・ホワイトロー | 来宮良子 | |
| ダミアン | ハーヴェイ・スペンサー・スティーヴンス | 吉田理保子 | 菅谷政子 |
| ブレナン神父 | パトリック・トラウトン | 大木民夫 | 島宇志夫 |
| スピレット神父 | マーティン・ベンソン | 藤城裕士 | 千葉耕市 |
| 僧侶 | ロバート・リエッティ | 嶋俊介 | |
| 精神科医 | ジョン・ストライド | 千田光男 | 峰恵研 |
| ベッカー医師 | アンソニー・ニコルズ | 村松康雄 | 北村弘一 |
| 乳母 ナニー | ホリー・パランス | 山田栄子 | |
| 記者 | ロイ・ボイド | 池水通洋 | |
| 尼僧 | フレダ・ダウィ | 好村俊子 | |
| ホートン | ロバート・マクロード | 広瀬正志 | |
| ホートン夫人 | シーラ・レイナー | 竹口安芸子 | |
| ブーゲンハーゲン | レオ・マッカーン | 飯塚昭三 | 金井大 |
| 不明 その他 |
N/A | 佐久間あい 久保田民絵 仲木隆司 |
花咲きよみ 屋良有作 池田勝 村松康雄 |
| 日本語版制作スタッフ | |||
| 演出 | 山田悦司 | 伊達渉 | |
| 翻訳 | 佐藤一公 | ||
| 調整 | 杉原日出弥 | ||
| プロデューサー | 熊谷国雄 | ||
| 制作 | トランスグローバル | 東北新社 | |
| 解説 | 荻昌弘 | ||
| 初回放送 | 1979年2月12日 『月曜ロードショー』 |
1981年発売の LDに収録。 品版・FY502-26MA | |
- TBS版はDVD・BDに収録。
- LD版はiTunes Storeでの配信に使用。2023年に、スターチャンネル3にて放送。
スタッフ
- 監督:リチャード・ドナー
- 製作総指揮:メイス・ニューフェルド
- 製作:ハーヴェイ・バーンハード
- 製作補:チャールズ・オーム
- 脚本:デヴィッド・セルツァー
- 撮影:ギルバート・テイラー
- 編集:スチュアート・ベアード
- 美術:カーメン・ディロン
- キャスティング・ディレクター:モード・スペクター
- メイキャップ:スチュアート・フリーボーン
- 特殊効果:ジョン・リチャードソン
- スタント・コーディネーター:アルフ・ジョイント
- 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
- 字幕:清水俊二
製作

1976年8月21日の『ロサンゼルス・タイムズ』の記事によると、映画プロデューサー ハーヴェイ・バーンハードが、宗教的な繋がりのある友人と昼食を採りながら、聖書について話したことから本作のアイデアが生まれたという。その友人は広告代理店で仕事をしており、「もしも反キリストが、幼い子どもの姿をして現代に生きていたらどうだろうか」という話をした。彼はバーンハードに『エクソシスト』(1973年)を彷彿とさせるような、恐ろしいスリラー映画のアイデアを持ちかけ、走って家に帰ったバーンハードは、急いでタイプライターで企画書を作った。
『夢のチョコレート工場』(1971年・日本未公開)にノンクレジットで参加していた駆け出しの脚本家デヴィッド・セルツァーは、悪魔やオカルトを信じていなかったが、当時仕事と金銭面で困窮していたため、バーンハードから持ち込まれた草稿を元に仕事を請けることにした。まず聖書と悪魔に関する資料の本を読み込んで、下調べをする時間をもらったセルツァーは、『ヨハネの黙示録』に載っていた“獣の数字 666”から、これを悪魔の子の印にしようと考えた。ロマン・ポランスキー監督の『ローズマリーの赤ちゃん』(1968年)を気に入っていたセルツァーは、そこからインスピレーションを得た。『ローズマリーの赤ちゃん』は、若い人妻が夫の裏切りに遭い、サタンと交わって子種を注がれ妊娠する話だが、悪魔が人間の夫婦を利用して我が子を託す設定にひねりを加えたセルツァーは、サタンかそのしもべが、アメリカ社会で成功している裕福な家庭(例えば大統領や外交官などの政治家)を踏み台に使い、悪魔の子が富と権力を手に入れて世界を支配する物語を考えた。バーンハードはセルツァーと最初期のシナリオを共同執筆したと伝えられているが、クレジットはされていない。
セルツァーが書き上げた脚本は『The Anti-Christ(アンチ・キリスト)』と題され、監督チャールズ・ベイルとオリヴァー・リードの主演を想定してワーナー・ブラザースが獲得していた。リチャード・ドナーは自分のエージェントから『The Anti-Christ』という面白い台本があると勧められて夢中になって読み、20世紀フォックスの社長アラン・ラッドJr.夫妻に「これは面白い」と台本を渡した。ワーナーによってプロジェクトが数ヵ月間も放置された後、台本の権利が切れたことで、ラッドJr.が映画化権を買い取った。
最初はホラー映画『ヘレンに何が起こったのか?』(1971年)を撮ったカーティス・ハリントンが監督に就任するはずだったが、 ラッドJr.の判断でドナーに監督の座を奪われてしまった。ハリントンは後年、この件は自身のキャリアにおける最大の挫折だったと語っている。ドナーはセルツァーに、物理的な悪魔や魔物といった超自然的要素を全てシナリオから排除するよう伝えた。映画の中で描かれる死が偶発的な事故によるものか、邪悪な力によるものか、ある程度の疑念を抱かせることが狙いだったからだ。 監督に起用されたドナーは、作品のスタートを以下のように語っている。
脚本はほとんどのスタジオに却下されていましたが、ホラー映画からミステリー、サスペンス・スリラーへと方向転換するというアイデアが、突如として作品に格調高い雰囲気を与えたのです。ですから私はセルツァーの脚本に自分の望む変更を加える機会を得て、あとはそれが正しかったのか、間違っていたのかを確かめるだけでした。結果的に『オーメン』は、私のキャリアの大きな転換期になりました。 — リチャード・ドナー
キャスティング



アメリカの日刊紙『ロサンゼルス・ヘラルド・イグザミナー』は1975年9月14日の記事で、『ローマの休日』(1953年)や『ナバロンの要塞』(1961年)で知られる名優グレゴリー・ペックが、本作品に出演すると報じた。
主人公ロバート・ソーン役にはウィリアム・ホールデン、ロイ・シャイダー、チャールトン・ヘストン、ディック・ヴァン・ダイクも候補に挙がっていたが、最終的にはプロデューサーのバーンハードと友人関係にあったエージェントを通じて、グレゴリー・ペックが決まった。ホールデンは「悪魔を題材にした映画に出演したくない」という理由で辞退したが、のちに続編『オーメン2/ダミアン』(1978年)に出演した。ダイクは流血と暴力を理由にロバート役を断ったが、俳優人生を振り返る2013年のインタビューの中で「『オーメン』の仕事を断ったのは間違いだった。あの時の私は愚かだったんだ」と後悔を口にしている。
脚本を読み終えたペックは、ホラー映画というよりも心理スリラーに近い内容を気に入って、出演契約書にサインをした。役者としての格を思えば、グレゴリー・ペックほどの大スターがこうしたジャンルの映画に出るとは考えられなかったが、彼が出演を承諾したことで作品の質が担保され、製作予算も多めに上乗せされた。ペックの伝記『Gregory Peck: A Biography』によると、彼の輝かしいキャリアからすれば、破格に安いと思われる25万ドルほどのギャラで出演を決めた。ただし映画の興行収入の10%が追加報酬として約束されていたという。結果的にこの映画は6,000万ドル強の興行収入を上げ、ペックの出演作品の中で最も高額な報酬を得た作品となった。
映画の鍵となる悪魔の子ダミアンは、500人もの子役のオーディションの中から2回の面接を経て、当時5歳のハーヴェイ・スペンサー・スティーブンスが選ばれた。スティーブンスは、オーディション中に「さぁ、かかってこい!」と挑発してきたリチャード・ドナーの股間を手で叩くという、驚くべき行動でこの役を掴み取った。ドナーは金髪の頭を黒く染めるよう命じて、彼をダミアンに抜擢した。ダミアンが引き起こす不可解な現象に怯え、自分の子どもと心を通わせられない母キャサリン・ソーン役には、ジャック・レモンとの共演作『酒とバラの日々』(1962年)でアカデミー主演女優賞にノミネートされたリー・レミックが、天使のような容姿と無力な純粋さが似合うとして起用された。他にもソーン一家に警告を発するブレナン神父役に、BBCの長寿テレビドラマ『ドクター・フー』で有名なパトリック・トラウトン、不吉の予兆を発見する写真家キース・ジェニングス役にデビッド・ワーナーなど、著名な英国人俳優たちの出演が決まった。
ベイロック夫人は当初、温かく情に厚いアイルランド人の乳母として描かれていた。しかし数々の英国アカデミー賞に輝いていたイギリスの女優ビリー・ホワイトローは、オーディションの場で台詞を大幅に変更し、映画に登場する冷たく不気味な人物像を演じて気に入られた。
次にプロデューサー陣とリチャード・ドナーは、ダミアンの守護者としてソーン家に入り込むベイロック夫人のキャラクターを、映画に残すかどうかで議論を重ねた。というのも、映画の他の部分は本当に悪魔の仕業なのか、偶然の事故なのかを観客に考えさせるよう曖昧に作られていたのに対し、あまりにも悪人然としたベイロック夫人は悪魔の使いであることが明白だったからだ。しかしドナーはオーディションで見事な悪の化身を演じてみせたホワイトローを非常に気に入っていたため、どうしても彼女を降板させることが出来なかった。多くの映画批評家は彼女がこの映画で最高の演技を見せたと評価した。実際にホワイトローは『オーメン』でイブニング・スタンダード英国映画賞を受賞している。
1976年8月21日の『ロサンゼルス・タイムズ』は、善人役が多いグレゴリー・ペックが、我が子を手にかけようとする役柄を演じることを観客が受け入れてくれるか、プロデューサーと20世紀フォックスが懸念を抱いていたと報じている。
撮影

セルツァーの証言によると、初期タイトル『The Anti-Christ』は響きがあまり良くないとケチがついたため、悪魔の数字から取って『The Birthmark(ザ・バースマーク=あざ)』に変更した。1975年10月20日のボックス・オフィスの記事では、『The Birthmark』は同年10月6日に撮影が始まり、主要スケジュールは11カ月間を予定していた。ところが撮影初期の病院(負傷したキャサリンが入院中の場所)に“『The Birthmark』撮影中”と掲示を出していた時、妊婦たちから「産まれながらのあざなんて縁起でもない」と苦情が来たため、急場しのぎで『OMEN』に変えたら、そのまま決定タイトルになってしまった。
映画序盤でロバートが車で大使館にやってくるところから玄関に入るシーンは、本物のアメリカ大使館で撮影している。当時は大使館も映画撮影に寛容だったことから、ブレナン神父が仕事中のロバートの面会に来る場面も、アメリカ大使館のオフィス内で土日曜日を使って撮影した。ロンドンのグレート・カンバーランド・プレイスやテムズ川沿いのビショップス・パーク、ギルフォード大聖堂などイギリス各地でロケが進められた。
ダミアンから恐ろしい雰囲気を感じたヒヒの群れがソーン母子の乗った車を襲うシーンは、1992年に閉園したウィンザー・サファリパークで撮影された。ヒヒの襲撃シーンは、飼育員が子どものヒヒを車内の後部座席に乗せたがヒヒたちは無反応だったため、今度は群れのボスのヒヒを乗せたところ、他のヒヒたちがボスを取り戻そうと暴れ出した。リー・レミックの恐怖の表情は演技ではなかったとのこと。ソーン一家が暮らす屋敷は、イングランド南東部のサリーにある、パーフォード・コートと呼ばれる1000エーカー(約4000キロ平方メートル)もの土地にある大邸宅である。ドナーは、ダミアンは世間知らずで無邪気な男の子という解釈でスティーブンスに演じさせた。これにより、ダミアンがブレナン神父の忠告にあるような邪悪な子なのか? という疑念をロバート・ソーンと観客に伝えられると思ったからだ。
キャサリンが2階から転落するシーンは、ワイヤーで吊ったリー・レミックを柔らかいマットの上に落す予定で準備していた。あくまで女優に危険がないよう安全重視で進めていたが、撮影2日前になって「夫が反対している」との理由でレミックが断ってきた。そこで床と同じ装飾を施した垂直の壁に割れた金魚鉢の破片を貼り付け、ドリー(※レール上を移動する撮影台車)に乗せたレミックを壁に近づける方法で撮影した。キャサリンが2階から落ちる後ろ姿はスタントマンで、レミックが床下に落ちて行くカットは、単に彼女が壁に向かって水平移動しているだけだ。ドナーは映画撮影で生きた魚を殺すのが嫌だったので、キャサリンが落下する直前に金魚鉢が割れるシーンでは、死んだイワシをオレンジ色に彩色して使った。
ダミアンの正体を知ったロバートが息子を殺そうとするクライマックス・シーンは、サリー州のステインズ・アポン・テムズにあるセント・ピーターズ教会の中で撮影された。ドナーはこの時の撮影を「凍えるほど寒かった」と回想している。ペックは子どもを手にかける展開に反対していたが、ドナーは「今のロバートは錯乱しているんだ」と言い聞かせて撮影を続行した。
最初に完成した映画のラストシーンは、葬儀会場に棺が3つ並んでいた。ソーン夫妻のほか、ダミアンも死んだのだ。テスト試写でこれを見たフォックス社長のラッドJr.は「ディック、ダミアンは生かしておけ」とドナーに話した。ドナーは「少し考えさせてください」と答えた後、ラストシーンを撮り直した。生き延びたダミアンがアメリカ大統領と寄り添って立つ印象的な幕切れは、カメラを回しながらドナーが「ハーヴェイ、笑うんじゃないぞ。笑ったらもう口をきいてあげないからな。いいか、絶対に笑うなよ!」と語りかけたが、振り向いたスティーブンスは笑顔を見せてしまった。全ての撮影が1976年1月9日に終了した後、パインウッド・スタジオグループのシェパートン・スタジオとエルサレムで追加撮影が行なわれた。なおホワイトローは、ダミアン役のスティーブンスが撮影現場でいつも行儀が悪く、酷い子だったと語っている。デビッド・ワーナーは『スターログ』1982年11月号で「あの映画はホラージャンルの中でも最高の作品のひとつだった。グレゴリー・ペックと仕事ができて楽しかったよ」と話した。
ドナーとバーンハードはポストプロダクションの作業中に、作曲家のジェリー・ゴールドスミスを雇うための追加予算を出してくれるようラッドJr.に頼んだ。ドナーたちはその年の初めに、ロサンゼルスのハリウッド・ボウルで開催されたゴールドスミスのコンサートに行き、彼の音楽が本作にぴったりだと思っていたからだ。ラッドJr.は2人の願いを聞き入れ、ゴールドスミスの起用資金として2万5000ドルを提供することを承諾した。
興行
プロデューサーのバーンハードは観客の口コミによる宣伝効果のために、1976年6月6日と6月10日の2日間にわたり、547館の劇場で2回の先行上映を行った。本作は『ジョーズ』や『エクソシスト』のようなベストセラー小説の映画化作品ではなかったため、セルツァーは自分の脚本をベースに小説版も執筆し、映画公開の2週間前にハードカバーの小説を出版した。バーンハードは『バラエティ』誌のインタビューで、『オーメン』の先行上映が小説への関心を高め、発売後3時間で大都市の書店で完売したと語った。実際にこの小説は3週間で87万5000部を売り上げ、ベストセラー1位となった。セルツァーも、小説との相乗効果で映画が大ヒットしたと話している。
『オーメン』は1976年6月25日に、アメリカとカナダの515館で公開された。映画は公開3日間で400万ドル以上を稼いだと報道され、公開週末には4,273,886ドル、総興行収入は60,922,980ドル(2024年の紙幣価値で334,414,696ドル)に達した。製作費はわずか2,800,000ドルと、公開当時の基準としてもかなり控えめな額で、ドナーの予算のやりくりが上手かったせいだろうと評された。そのドナーは、この映画がスタジオに莫大な利益をもたらしたことにより、フォックスがジョージ・ルーカスに『スター・ウォーズ』を完成させるための資金を提供できたと語っている。
評価

レビュー・アグリゲーターのRotten Tomatoesでは52件のレビューで支持率は85%、平均点は7.20/10となった。Metacriticでは11件のレビューを基に加重平均値が62/100となった。IMDbの評価では7.5/10点と、高いスコアを集めている
映画評論家ロジャー・イーバートは1976年6月8日の『シカゴ・サンタイムズ』に、「不気味なサプライズこそがホラー映画の醍醐味なので、あまりネタバレはしたくないが、三輪車で母親をバルコニーから突き落とした後の少年の顔に浮かぶ幸福感については触れておこう」と書いて、4点満点中2.5点を付けた。
『ニューヨーク・タイムズ』の評論家リチャード・エダーは「ひどく馬鹿げた映画だが、だからといって完全に悪いというわけではない。少なくとも、途中で席を立ちたいと思う観客はほとんどいないだろう。大きな興奮はないが、物事がどうなるのかという好奇心はなんとか維持できる」と批評した。
英国の週刊誌『ラジオ・タイムズ』のアラン・ジョーンズは「このホラー大作は、名優たちの演技とリチャード・ドナー監督が作り出した不穏な雰囲気によって、格調高い作品となっている。脚本家のデヴィッド・セルツァーは、『ヨハネの黙示録』に登場する反キリストの台頭に関する予言を巧みに借用し、宗教的叙事詩とも呼べるスケールの超自然的ホラー物語を紡ぎ出した」と絶賛し、4/5点を与えた。
ニューヨーク近代美術館の学芸員にして映画評論家のデイブ・カーは、『シカゴ・リーダー』に「『エクソシスト』以降に続く数々の悪魔スリラーの中でも、最も洗練された作品の一つ。リチャード・ドナー監督は雰囲気よりもスピードを重視しているが、いくつか見事なショックシーンがある」と好評価を寄せた。
世界59か国で読まれているグローバルマガジン『タイムアウト』は、「この映画の制作者は無駄な部分を徹底して省き、流血描写をほとんど避けながら、比較的ありきたりなストーリーをサスペンス、優れた演技、非常に巧みな脚本で事件を盛り上げている」と高く評価した。
この映画は賛否両論の評価を受けたが、否定的な批評のほとんどは“宗教的な題材を娯楽のために利用している”という指摘だった。『デイリー・バラエティ』誌の1976年7月7日付の記事では、ローマのカトリック教会が完全な否定とまで行かなかったものの、『オーメン』にB評価を与えた。7月8日付の同誌では、教会関係者が『ヨハネの黙示録』の間違った引用で、この映画がキリスト教の終末論を誤って伝えていると苦情を述べていた。しかし他の宗教団体は、この映画を称賛した。
本作でダミアンを演じたスティーブンスの俳優人生は短命に終わり、学校を卒業した後は金融街で働くようになった。彼は2007年のインタビューで「数年間は幸運だった」と話していたが、2016年8月に2人を殴打して負傷させる傷害罪で逮捕され、2児の父であるスティーブンスは執行猶予2年付きの禁錮刑を言い渡されている。子どもの頃に注目されたことに関しては「大したことではなかった。人気が続いているうちは良かったけどね」とスティーブンスは語っている。
不吉なエピソード
この映画の関係者たちは、あまりにも多くの恐ろしい事故に見舞われ、まるで呪われているかのようだと言われた。
グレゴリー・ペックは撮影が始まる2カ月前に息子が拳銃自殺をし、その後、ペックがロンドンへ向かう1975年9月、乗っていた飛行機が落雷事故に遭った。その一週間後にエグゼクティブ・プロデューサーのメイス・ニューフェルドがイギリスに向かった時も、彼が乗っている飛行機が落雷に遭遇している。他にも制作側がチャーターした飛行機が航空会社の都合で急遽変更され、元の飛行機は離陸後まもなく墜落して乗員全員が死亡するなど航空機絡みの事件が頻発した。ソーンとジェニングスが墓地で犬に襲われる撮影時は、調教されているはずのロットワイラーが、デビッド・ワーナーのスタント役テリー・ウォルシュが着用する防護服を噛み千切っただけでなく、トレーナーの指示に従わずに暴れ続ける一幕もあった。
これらの事故以外にも、ペックと夫人がよく食事をしていたロンドンの飲食店がアイルランドの武装組織IRAによる爆破攻撃を受けたり、ヒヒの襲撃シーンを撮ったサファリパークの飼育員が撮影後まもなく虎に襲われて死亡し、本作のスタントマンのアルフ・ジョイントは『遠すぎた橋』(1977年)の撮影中にスタントの失敗で重傷を負った。ジョイントは近くに誰もいなかったのに、押された感覚があったと述べている。
こうした数々の不幸な出来事は2005年のテレビ・ドキュメンタリー『The Curse Of The Omen(オーメンの呪い)』にもまとめられている。奇妙な事故は色々とあったものの、関係者の大半は生き残ったので、あくまで偶発的な事故の積み重ねと考えられ、“呪いがあった”などという風評を立証する手立てはない。しかし実に不可解としか思えない事件も確かにあった。
1976年8月13日の金曜日、『オーメン』の特殊効果デザイナーを務めたジョン・リチャードソンは、妻のリズ・ムーアと車で移動中に自動車事故に巻き込まれた。リチャードソンは意識を失ったものの一命は取り留めたが、妻のムーアは飛び込んできたタイヤによって首を切断された。リチャードソンは事故の直前に「オーメンの街まで66.6km」という道路標識を見たと話している。
監督のドナーは後年、「もし当時の私たちがロマンティック・コメディを撮っていたら、これらの偶然は気に留めなかったと思うが、『オーメン』という作品の性格上、目を背けるのは難しかった」と述べている。
受賞とノミネート
| 映画賞 | 部門 | 対象 | 結果 | 出典 |
|---|---|---|---|---|
| 第49回アカデミー賞 | アカデミー作曲賞 | ジェリー・ゴールドスミス | 受賞 | |
| アカデミー歌曲賞 | ノミネート | |||
| 英国映画テレビ芸術アカデミー | 英国アカデミー賞 助演女優賞 | ビリー・ホワイトロー | ノミネート | |
| 英国撮影監督協会 | 最優秀撮影賞 | ギルバート・テイラー | 受賞 | |
| エドガー賞 | 最優秀脚本賞 | デヴィッド・セルツァー | ノミネート | |
| イブニング・スタンダード英国映画賞 | 最優秀女優賞 | ビリー・ホワイトロー | 受賞 | |
| ゴールデングローブ賞 | 最優秀新人男優賞 | ハーヴェイ・スペンサー・スティーブンス | ノミネート | |
| グラミー賞 | 映画・テレビサウンドトラック部門 | ジェリー・ゴールドスミス | ノミネート | |
| サターン賞 | ベスト・ホラー映画賞 | 『オーメン』 | ノミネート | |
| 最優秀男優賞 | グレゴリー・ペック | 受賞 | ||
| 全米脚本家組合 | 最優秀オリジナル脚本賞 | デヴィッド・セルツァー | ノミネート |
フランチャイズ
300万ドルにも満たない製作費に対して全世界で6000万ドルもの興行成績をあげ、1976年の興行収入第5位となった『オーメン』は様々な続編を生んだ。
オーメン2/ダミアン (1978年)
社内試写で『オーメン』を鑑賞したフォックスの幹部は、デビッド・ワーナーの頭部がガラス板で切断されるスローモーションに驚いて、すぐに続編を計画した。ドナーが『スーパーマン』(1978年)の撮影で多忙だったことから、スタジオは後に『フラッシュゴードン』(1980年)を撮ることになるイギリスの映画監督マイク・ホッジスを招聘したが、妥協を許さないホッジスの演出スタイルと撮影スケジュールの遅延に腹を立てたプロデューサーのバーンハードは、彼を降板させてアメリカ人監督のドン・テイラーに交代させた。ホッジスはバーンハードとオフィスで口論した時に、彼から実弾の入った拳銃を向けられたことなど、制作を通してストレスが溜まり自主的に仕事を降りたと2014年に話しており、ホッジスが撮ったシーンは本編に多く残っている。第1作がヒットする前から製作に着手した『オーメン2』は、ウィリアム・ホールデンとリー・グラントといったベテラン俳優陣が、前作のグレゴリー・ペックとリー・レミックに匹敵する養父を難なく演じているほか、ティーンエイジャーに成長したダミアン役のジョナサン・スコット・テイラーも好評を博した。幼い頃から兄弟同然に育てられた従兄弟のマークに対する、思春期のダミアンの同性愛的なサブテキストを評価する声もある。
オーメン/最後の闘争 (1981年)
1978年6月27日付の『ハリウッド・リポーター』は、“リチャード・ドナーが『オーメン』第3作の監督を検討している”というニュースを報じたが、ドナーは製作総指揮として関わることになった。タイトルは『Omen III』に始まり、『The Final Chapter – Omen III』、『Omen 3: The Final Conflict』と変更を重ね、最終的に『The Final Conflict』に決定した。当時はまだ無名だったサム・ニールが、30代で女たらしの政治家になった大人のダミアン役に抜擢された。監督のグレアム・ベイカーは、バーンハードと良好な関係を築き、「私の演出に対して彼(バーンハード)が否定的だったことは一度もないが、私の演出のいくつかは彼の好みではなかったようだ」とコメントしている。推定450万ドルから500万ドル程度の製作費を思えば興行収入2000万ドル強は悪くない成績だったが、アメリカのメディアからは酷評され、後年は日本のホラー映画専門誌でも「ハルマゲドンってこんなものと拍子抜けするお手軽、お粗末さ」と揶揄されている。『最後の闘争』は血生臭くてグロテスクな映画にすることも可能だったが、製作チームはもっと高次元な作品作りを目指しており、バーンハードは散々な批評を目にして「評論家たちは、この映画を理解できなかったのだと思う」と溜息をついた。
オーメン4 (1991年)
続編2作がスタジオの期待を裏切る成績だったことから、バーンハードは低予算のテレビ映画として『オーメン4』を製作した。それでも彼は撮影中に「国内で劇場公開される可能性はまだある。海外では間違いなく劇場公開されるだろう。すでに高額で海外配給権が売却されている」と強気だった。政治的なコネのある夫婦のもとに少女ディーリア(エイジア・ヴィーイラ)が引き取られ、養母のカレン(フェイ・グラント)は次第に養女が厄介な子ではないかと疑念を抱く。子どもの性別を変えただけの第1作と同じ筋書きに新鮮味はなかったが、終盤でディーリアがダミアンの遺児だと判明する。海外の複数の評論家の間では、第3作で女性記者ケイト(リサ・ハロー)と恋人関係になったダミアンが、寝室で一夜を共にした時にセックスでケイトを妊娠させたと考えられている。テレビ映画のために暴力と流血が抑えられ、海外の一部で劇場公開されても全く話題にならなかった本作は、それでも『オーメン』シリーズのタイムライン上において「最後の作品」に位置している。
オーメン (1995年のドラマ)
1995年9月8日にアメリカのテレビ局NBCで、テレビパイロット版の1時間ドラマ『オーメン』が放送された。疫学者ライナス博士(ウィリアム・サドラー)が行方不明の同僚を探してワイオミング州に向かうと、儀式的な方法で吊るされている同僚の遺体を発見する。ライナスは知らず知らずのうちに、人間の体を餌とする、邪悪な寄生生物を解き放ってしまう。反キリストのテーマとはほとんど関係がない話で、憑依ホラーと環境テロを合わせたようなドラマであった。 監督はこれまでに『エルム街の悪夢2』(1985年)や『ヒドゥン』(1987年)を送り出したジャック・ショルダー、脚本はテレビドラマ界の脚本家兼プロデューサーとして活動していたジョン・リークリーが担当。ノンクレジットながらリチャード・ドナーが製作総指揮に関わっていた。『オーメン』のフランチャイズをテレビシリーズに拡大しようとしたフォックスの試みだったが、パイロット版1本で終了し、シリーズ化は実現しなかった。
オーメン (2006年)
ダン・マクダーモットの脚本とジョン・ムーアの監督で、第1作のリメイクが進行中というニュースが2005年7月19日に報じられた。第1作と全く同じ内容だったマグダーモットの脚本は全米脚本家組合に認められず、クレジットを外されてデヴィッド・セルツァーの名義になったと公表されているが、実際はフォックスがリメイク版の製作に最初からセルツァーの脚本を用意しており、それを知ったムーアは「シェイクスピアの古典名作のような素晴らしいシナリオが使えると知り、落胆するどころか、むしろ安心した」と語っている。さらに2006年6月のインタビューでムーアは「セルツァーの優れた脚本をすべて書き直すのは愚かなことだと思いましたが、現代の観客に向けた微妙な文脈付けが必要な箇所は、映画にクレジットされていないマグダーモットと共同で作業をしました」と、シナリオの脚色にマグダーモットがノンクレジットで参加したのが真相だと証言した。 偉大なオリジナル版と比較されて批評家から酷評を受けたが、製作費2500万ドルで作られたリメイク版は興行収入1億2000万ドルも稼ぎ、商業的には成功を収めた。
ダミアン (2016年のドラマ)
大人になったダミアン・ソーンの人生を追うテレビドラマの製作が2014年8月に発表された。第1作の続編という位置づけで、『オーメン2』以降は無視されている。『ウォーキング・デッド』(2010年)の製作総指揮・脚本を務めたグレン・マザラが脚本を手がけ、アメリカのテレビ局ライフタイムで企画が進められた後、2016年3月よりA&Eで放送された。グレゴリー・ペックやリー・レミック、ハーヴェイ・スペンサー・スティーブンスの映像を第1作から流用している反面、ブラッドリー・ジェームズが演じるダミアンは、過去の記憶を失くした戦場カメラマンという味気ない存在になっている。このドラマは悪魔の子であるダミアンを全く異なる視点から描き、悪とは必ずしも我々が想像しているものとは違う可能性を示唆するものだった。 しかし全10話を通して低視聴率に悩まされたこのシリーズは、第1シーズン終了と共に打ち切りが決まり、グレン・マザラは2016 年 5 月 20 日のTwitterで「残念なお知らせですが、『ダミアン』のシーズン2は制作されません。ファンの皆さんは本当に最高でしたが、物語を続けることはできなくなりました」と、打ち切りが事実であることを告げた。
オーメン:ザ・ファースト (2024年)
2016年4月、ベン・ジャコビーの脚本とデヴィッド・S・ゴイヤーのプロデュースで、『オーメン』前日譚が製作される速報が出た。長い開発期間を経て、『オーメン』の大ファンというアルカシャ・スティーブンソンが2022年5月に監督に就任。彼女はティム・スミスと共同で脚本の書き直しをした。地上に反キリストを誕生させようとする教会急進派による子作りの儀式で、若い修道女マーガレット(ネル・タイガー・フリー)は、ジャッカルの悪魔と壮絶な交尾の末に種つけをされる。しかも獣の悪魔はマーガレットの母を孕ませた父でもあり、スティーブンソンは「悪魔の子ダミアンは近親相姦と獣姦の組み合わせで産まれた」という禍々しい設定を考えた。分娩シーンで映る膣口や生々しい帝王切開、勃起した悪魔の陰茎など、数々の特殊美術造型は『ザ・ホエール』(2022年)でアカデミーメイクアップ賞を受賞したエイドリアン・モロと、モロの妻で『M3GAN ミーガン』(2023年)の造型に参加したキャシー・ツェが制作した。スタッフは成人指定回避のために、映画審査機関MPAを相手に5回も編集をやり直したという。第1作に捧げた数々のオマージュを含めてスティーブンソンの手腕は高く評価され、全世界の興行収入5384万ドルもの好成績を記録した。
