泉質
温泉街
歴史
雌阿寒岳の西の麓ではミネラルが豊富な湯が古くから湧き、アイヌの人々が利用していたと言われる。
足寄町(オンネトー魅力創造委員会)の2018年(平成30年)の報告書によると、1913年(大正2年)に野中増次郎により開湯したという。野中一家がこの地に初めての温泉旅館を開いたのは1914年(大正3年)のことである。その後、その周囲に旅館が増えて「雌阿寒温泉」として認知され始めた。
1956年(昭和31年)にユースホステル、1958年(昭和33年)に景福、1960年(昭和35年)に国民宿舎、1963年(昭和38年)に阿寒富士荘、1969年(昭和44年)に国民宿舎を移設し、野中温泉別館(後山の宿野中温泉)が開業した。
1973年(昭和48年)3月30日、環境庁告示第20号により国民保養温泉地に指定された。
2011年(平成23年)3月31日、野中温泉ユースホステルが宿泊業を閉業し、日帰り入浴施設となった後、廃業し解体済。
2014年(平成26年)10月、「オンネトー温泉 景福」で入浴中の宿泊客が硫化水素中毒で重体となる事故が発生。このため自主休業、後に廃業し解体済。
2025年(令和7年)1月23日、山の宿野中温泉の建物から出火。木造2階建て建物がほぼ全焼、休業となった。