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日本の氏族

徳丸氏

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徳丸氏
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本姓
大神氏
種別
武家
出身地
豊後国
主な根拠地
大分郡高田庄 豊後国の位置

徳丸氏(とくまるし)は、日本の氏族。
豊後国の氏族である大神氏(おおがし)の一門である。

沿革

  • 徳丸氏は大神氏の流れをくむ大分郡高田庄徳丸名の名主
  • 大友氏の豊後国入国後、大神氏の勢力は衰退し、次第に大友氏家臣団に組み込まれた
  • 戦国期には徳丸氏は二分され、
    一部は吉岡氏に被官化、一部は大友氏に直臣化している
    < 徳丸文書 >:大友氏と徳丸氏の主従関係の裏付け
    • 「徳丸忠奥」:忠奥以降、大友家からの書状の写しあり
    • 「徳丸統貞」:大友義統・義乗より御書を賜ったとされる
    • 「徳丸貞房」:統貞の子であり、義統の二男篤業(松野右京亮)より御書を賜ったとされる
  • 戦国末期:「大友家士帳」より
  • 寺司浜の戦(乙津川の戦い)「髙田村志」より
    ▶︎ 天正14年(1586年)及び翌15年3月
    • 高田豪士でこの戦いに参加したものは非常に多く、軍功者として今日に伝わる名前は、徳丸式部・徳丸中書・徳丸刑部・徳丸兵部・徳丸志摩・徳丸三郎兵衛・徳丸勘右衛門・徳丸權左衛門・徳丸加右衛門(惟平)・徳丸又右衛門(統貞)・中村新助(正盛)・同助兵衛(統重)・向新右衛門等あり
    • 中村新助・中村助兵衛及び徳丸刑部・徳丸加右衛門の諸士は、寺司浜の戦において殊に奮戦し、新助(正盛)は不幸に戦死したが、その弟助兵衛(統重)は薩軍三主将の一人たる伊集院美作守久宣を討ち取り、兄の仇をとっただけでなく全軍中抜群のてがらを立て、同時に徳丸刑部は敵の部妻栗玄蕃を斬殺し、徳丸加右衛門惟平は敵主将の一人である野村備中守(野村文綱)に傷を負わせ後に死に至らしめた。
      いずれも郷土の武名を高く広めた。また徳丸式部は吉岡氏の重臣にして、常時は城主妙林尼の帷幄としてその功は少なくなかったという
  • 豊臣秀吉朝鮮征伐
    ▶︎ 文禄元年(1592年)

関連人物

関連施設

関連地名

  • 上徳丸(かみとくまる) ・・・大分市丸亀
  • 下徳丸(しもとくまる) ・・・大分市下徳丸

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