経歴
備前国磐梨郡弥上村(岡山県磐梨郡可真村、赤磐郡可真村、熊山町を経て現赤磐市弥上)で、誠太の二男として生れた。漢学、仏式兵学を修めた。岡山藩第3兵団予備隊機械弾薬掛、同藩第3大隊2番小隊半隊長心得、同第3大隊長を務めた。その後、里正に就任。
1877年(明治10年)第3区務所戸長に就任。以後、磐梨郡書記、同郡第7部戸長を務めた。1889年(明治22年)初代可真村長に就任し1895年(明治28年)まで在任した。1892年(明治25年)岡山県会議員に当選。その他、赤磐郡会議員、同議長にも在任した。
1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙(岡山県第2区、自由党)で当選し、衆議院議員に1期在任した。1898年(明治31年)3月の第5回総選挙(岡山県第2区、自由党)では次点で落選し、政界を引退した。
その後、郷里で果樹園芸、植林を行い、備作果物組合、可真信用組合の設立に参画し、赤磐郡教育会長を1902年(明治35年)から死去するまで務めた。